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ヤフー掲示板にて、時折出没しております、kuma8_takuan と申します。 今まで書きなぐってきた物などを多少なりとも整理できましたらと思い、 不慣れながらブログというものにTryしていきます。 
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岡っ引きで博打打ちを称して二足の草鞋を履くと言うが、江戸時代は博徒の親分が目明し岡っ引きの親分でもあった。

そもそも封建制というのは、ある種の集団の統治はその集団に任せるというのが基本的な考え方であったから、幕府は全体を管理はするが村や町や宿場には夫々の地域の代表者を役人に任じて支配させた。それに穢多や非人と呼ばれた人々については、穢多頭・非人頭を置いて支配させた。

村役人・町役人は、その運営費用についてはその支配下の村民や町民に戸数や間口により頭割りにして徴収することが多かった。

百姓の税と言えば年貢が先ず頭に浮かぶが、年貢だけでなく夫役があったが夫役以外にも金納も有り、地域や集団の実情に応じて使い分けられていた。江戸前の漁業者については江戸城に納入する魚が義務づけられていたし職人集団には一定量の物納が義務ずけられているものがあった。

江戸時代の警察制度というのは、南北町奉行所を思い描くがそれは江戸府内の、それも町人や浪人のみを担当した。それ以外の関八州と呼ばれた天領は、勘定奉行が担当だったが刑事犯の取り締まりよりは、年貢の徴収担当官で現在の税務署長が警察権を持っていた位に考えるのが丁度良いだろう。

実際に犯罪者が出た場合には、町役人が詰めている自身番という小屋へ突き出された。それを町廻りの同心が吟味のうえ大番屋へ引き立てて行った。

それでは村方ではどうしたかと言うと村役人宅に犯罪者を閉じ込めて(江戸初期は牢の用意は無いことが多かった)勘定奉行所に連絡をして、奉行所から判断を仰いだ上で犯罪者を江戸まで引き連れて行かねばならなかった。その犯罪者の食い扶持や見張りの費用及び江戸までの費用や旅籠代などは全て村方で賄わなければならなかった。

村方で賄うということは、村の百姓衆の負担が増えるということを意味した。そのため、重大な犯罪以外は見逃されることが多かった。

江戸初期の警察制度と言うのは、思うに性善説で出来ていたものか。侍が毎日のように切りあっているのを見ていたら、それなりに抑止力は働いていたのかもしれん。刑の内容も敲き・追放・遠島・死罪・張付け獄門などであったが、特に追放刑などは犯罪者を地方に追いやることでしか無かったから、その犯罪者に舞い込まれた土地では堪ったものでは無かったろう。

目明しというのは目証しであって、その昔は犯罪を犯した者の罪一等を免ずる替わりに深編み笠を被せて町中を連れ歩き、同類の者を指差させ片っ端から召し捕ったからだと言う。古くは平安時代に京都の警護を担当した検非違使が犯罪者検挙の為に放免という元犯罪者たちを使ったとあるが、まさに蛇の道は蛇で我国の伝統であろうか。

八代将軍の吉宗はこれを嫌い目明しを使うことを禁じたが、吉宗将軍亡き後は岡っ引きとして復活したという。二本ざしを差してふんぞりかえっていても犯罪捜査はできぬものらしい。岡っ引きの岡は岡目八目や岡場所の岡で本筋ではないという江戸弁らしい。

さて、この岡っ引きであるが町奉行所の同心などが私的に使用したものであるが給金などロクに払われなかったから各々が別に商売を営み、御用風を吹かせ相当アコギなまねをしたらしい。奉行所の同心達も犯罪者の摘発に欠かせないので見てみぬふりをきめこんでいた。

博打がご法度なのは江戸時代も変わらないが、寺も大名屋敷も町方にとっては治外法権だったので博打場が開催されていると解かっていても町方は踏み込めなかった。火事とけんかは江戸の華と言われるように江戸は大火に度々見まわられたので幕府は大名に命じて定火消しを置いたが、これがいけなかった。火消し人足として雇わられた人足連中は火事が無ければすることが無いので年がら年中博打漬けの有様となってしまった。

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