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ニコライ・ネフスキー氏の手紙
私の考えではシラーといふ神名は知るといふ語から来てゐるのではなかろうか。そして神様の名前はシラであってこの神に侍する者ー即ち巫女ーもシラといふ名前を負たらしい。おしまひには巫女の一種の俗名になつたのではなからうかと思ひます(白神筋、白比丘尼、白拍子、白太夫等御参照)。
御承知の通り色々の人種や民族の巫祝の俗名は(シャマンを始めとして)知るといふ語に根ざしてゐるのです。日本にもヒジリなどの言葉は同じ意味ぢゃありませんか。極昔は巫女の事を只シラといふたかも分かりません。
人民の方からいへば巫女はシラ即ちモノシリで、巫女の方から云ふとオシラ神は我にものをシラせる神であると言ふても差支がなからうと思ひます(国々にある尻神や知神等は元と巫女シラ神であつたかも知れません)。
昔の巫女が神下しする折には色々の神々を呼び寄せたが、彼れに憑いた神は只一番大切な代々から緻密な関係のあった神だけでした。其の神を巫女自身が知ら神といつたのではなからうか。又色々の神々を呼び寄せた事も右の因縁深いおしらさまのお蔭だつたと思います。
だから神降ろしの時に右の御神体で弦を打って神々の名を唱えて彼等を呼び出したのです。即ち右の神は色々の神々の神使いです。此方面から神使を研究しなければなりません。
其オシラサマの色々の動物頭を調べて見ると狐、鶏、馬など御座います。大抵皆憑きものです。馬は憑きものあるといふ事に就いては材料が御座いませんが馬を神として(又は道端でYの様な馬供養を立てヾ)祭る習慣と、西比利亜シャマンと深い関係があるのとを考えて見ると、昔の日本に於いても馬と巫女術との関係があつたかも知れません。右の動物は所々の巫女銘々の守護神だつたとも考えられます。
山猟団体が狩に出掛ける折には、巫女を連れて来て彼の守護神なるオシラ神には御意見を聞いたと思ひます。山猟と巫女術と極々緻密な関係だつたと思ひます。現代の巫女が弓を使ふのとイラタカの数珠に猛獣の牙や爪を附けるのと、猟の前にオシラサマに方角を聞くのとは皆々其の時代の歴史を語るものでは御座いませんか(オコゼ魚を紙で包むのとおしらーーに着物を着せるとは何か関連が御座いませんか)。
時代が変わつて来て狩猟団体の代わりに舞台に百姓が出て来た。巫女は一定した村に居られなくなつて浮標人になりました。百姓のご機嫌をとつたり大事な農業の事を神に聞いたりなどして生活して居りました。
豊作がつづいた時には左程巫女の力を借りる必要がない時は、彼女達は生活をいとなむ為に村から村へ、戸から戸へ廻り歩いて大事な神様を遊ばすとて人形芝居の様な事をやり始めたのではなからうか。
もとの所には仏像を真似てオシラ神の御神体を安置して白太夫とて祭つたのでせう(自分も時として白太夫と名乗って国から国へ漂って居りました)。更に白山といふ名前に就いてはどうも其の処は何かの故を以って巫女に関係深い所だつたと思われます。
白山はくさんのもとの訓はシラ山だと思ひます。後に仏教の影響を受けてハクサンと呼ぶ様にしたでせう。其の辺から出た巫女は、西宮の白太夫と同じく男女二体の人形を安置して置いて白山権現として其を祭つたかも知れませんが如何でせうか。
大正九年四月一日 中山太郎 宛書簡より抜粋
N・ネフスキー 著 岡 正雄 編 「月と不死」平凡社 より
私の考えではシラーといふ神名は知るといふ語から来てゐるのではなかろうか。そして神様の名前はシラであってこの神に侍する者ー即ち巫女ーもシラといふ名前を負たらしい。おしまひには巫女の一種の俗名になつたのではなからうかと思ひます(白神筋、白比丘尼、白拍子、白太夫等御参照)。
御承知の通り色々の人種や民族の巫祝の俗名は(シャマンを始めとして)知るといふ語に根ざしてゐるのです。日本にもヒジリなどの言葉は同じ意味ぢゃありませんか。極昔は巫女の事を只シラといふたかも分かりません。
人民の方からいへば巫女はシラ即ちモノシリで、巫女の方から云ふとオシラ神は我にものをシラせる神であると言ふても差支がなからうと思ひます(国々にある尻神や知神等は元と巫女シラ神であつたかも知れません)。
昔の巫女が神下しする折には色々の神々を呼び寄せたが、彼れに憑いた神は只一番大切な代々から緻密な関係のあった神だけでした。其の神を巫女自身が知ら神といつたのではなからうか。又色々の神々を呼び寄せた事も右の因縁深いおしらさまのお蔭だつたと思います。
だから神降ろしの時に右の御神体で弦を打って神々の名を唱えて彼等を呼び出したのです。即ち右の神は色々の神々の神使いです。此方面から神使を研究しなければなりません。
其オシラサマの色々の動物頭を調べて見ると狐、鶏、馬など御座います。大抵皆憑きものです。馬は憑きものあるといふ事に就いては材料が御座いませんが馬を神として(又は道端でYの様な馬供養を立てヾ)祭る習慣と、西比利亜シャマンと深い関係があるのとを考えて見ると、昔の日本に於いても馬と巫女術との関係があつたかも知れません。右の動物は所々の巫女銘々の守護神だつたとも考えられます。
山猟団体が狩に出掛ける折には、巫女を連れて来て彼の守護神なるオシラ神には御意見を聞いたと思ひます。山猟と巫女術と極々緻密な関係だつたと思ひます。現代の巫女が弓を使ふのとイラタカの数珠に猛獣の牙や爪を附けるのと、猟の前にオシラサマに方角を聞くのとは皆々其の時代の歴史を語るものでは御座いませんか(オコゼ魚を紙で包むのとおしらーーに着物を着せるとは何か関連が御座いませんか)。
時代が変わつて来て狩猟団体の代わりに舞台に百姓が出て来た。巫女は一定した村に居られなくなつて浮標人になりました。百姓のご機嫌をとつたり大事な農業の事を神に聞いたりなどして生活して居りました。
豊作がつづいた時には左程巫女の力を借りる必要がない時は、彼女達は生活をいとなむ為に村から村へ、戸から戸へ廻り歩いて大事な神様を遊ばすとて人形芝居の様な事をやり始めたのではなからうか。
もとの所には仏像を真似てオシラ神の御神体を安置して白太夫とて祭つたのでせう(自分も時として白太夫と名乗って国から国へ漂って居りました)。更に白山といふ名前に就いてはどうも其の処は何かの故を以って巫女に関係深い所だつたと思われます。
白山はくさんのもとの訓はシラ山だと思ひます。後に仏教の影響を受けてハクサンと呼ぶ様にしたでせう。其の辺から出た巫女は、西宮の白太夫と同じく男女二体の人形を安置して置いて白山権現として其を祭つたかも知れませんが如何でせうか。
大正九年四月一日 中山太郎 宛書簡より抜粋
N・ネフスキー 著 岡 正雄 編 「月と不死」平凡社 より
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沢庵 熊八
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自営業
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古代史・歴史小説・釣り
自己紹介:
父は会津、母は信濃出身で、どうみても縄文系の熊八です。北海道生まれで、関東育ち。現在は相模の国に住まいしております。
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