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ヤフー掲示板にて、時折出没しております、kuma8_takuan と申します。 今まで書きなぐってきた物などを多少なりとも整理できましたらと思い、 不慣れながらブログというものにTryしていきます。 
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皮革産業は、軍需産業でもありましたから戦国時代を通して穢多皮田と呼ばれた者たちは地域地域の領主達の支配化にありました。必要とされた者たちでしたが、斃牛馬の処理が仕事であった為、血穢死穢の観念が付きまといました。地域によっては穢多皮田が存在しない地域もあったので、遠くから招いて居住する場合もありました。

また地域の清めの作業の中には、犯罪者や浮浪者の捕獲や排除の仕事も含んでいたので、村役人などに命じられて目明しや手先として働く場合もありました。所謂、不浄役人というやつですね。

斃牛馬の処理については、その独占が認められていたので富裕な者たちもいたようです。大阪の穢多村には太鼓の生産で莫大な利益を得ていた者がいたという記録もあります。田畑については持って居る生産者もあり、持たない者達も居たようです。年貢に関しても納めている者、納めて居ない者、地域によってその取り扱いに違いがあったようです。


非人については、中世より願人坊主や濫僧それに歩き巫女や熊野比丘尼といった僧職に扮した浮浪者の類が門付け・袖引き中には居直りなどして乞食して廻った者たちの称であったり、犬神人や坂の者と呼ばれ寺社に付属し、キヨメと呼ばれる下働きをした者たちの称でもあった。

何れにしろ共通するのは、土地なり正業なりを持たぬ寄生的な生き方をしていた者たちであった。川原乞食と呼ばれた芸人たちをこの中へ入れたのは無形の芸を支配者がわが無産のものと見たからであろう。

江戸時代に所謂、的屋・香具師の支配を巡って非人頭と争った記録があります。香具師の口上を芸事とみた非人頭は芸人の支配は乞胸頭を通して非人頭なので非人頭の支配で有る旨主張しました。これに対し香具師テキヤの側では、確かに啖呵タンカ売バイなどの口上で物売りするが商品を売っている以上、実業だと言うような反論をしています。その結果の程は知りませんが、考え方が良く解かる事例ではないでしょうか。

番非人などとも呼ばれ牢番や木戸番それに捕吏・目明しなどにも使われたのは、穢多も非人も変わりません。中には犯罪者を非人手下として非人に繰り入れることもあり、非人の側では博奕に手を出して処罰される者も出ています。こうなると当時の警察能力がどうであったのか、全く解からなくなってきます。

最後にもう一つ結果の解かっていない事例をあげて置きます。幕末の伊豆韮山代官所の記録に、今の静岡県の三島あたりで非人と穢多が争ったものがあります。番非人と称して鉄棒を持ち近在を見廻っている非人がいるが、十手御用は本来穢多の領分であるから穢多支配の非人供が見廻るのは筋違いだという訴えが当地の穢多頭より起こされていたとあります。


























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