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ヤフー掲示板にて、時折出没しております、kuma8_takuan と申します。 今まで書きなぐってきた物などを多少なりとも整理できましたらと思い、 不慣れながらブログというものにTryしていきます。 
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幕府は江戸入府以来、穢多頭弾左衛門に対し穢多非人の支配を認めるのであるが、何度か出された弾左衛門由緒書きには28種の職業を鎌倉の頼朝将軍より支配を認められた旨を謳っております。

しかしながら、その由緒を認める根拠は不明と言わざるを得ません。多分に胡散臭さが感じられます。幕府がその支配の根拠にしたものに、人別改め宗門改めがあります。つまり幕府の支配下に於いては、その被支配民は必ず何れかの集団に属している必要がありました。幕府は、その集団の長を役人に任命することで支配を完成しようとしました。

そこで一番頭を悩ませたのは、無秩序に生み出される牢人・浮浪人達でした。人別帳に有籍か無籍なのか、有籍であっても実態に即しているものかどうか。その辺りの境界にあった人々や浮浪から抜け出せなくなった人々を非人として弾左衛門に支配させたもと考えます。

古くは悲田院や散所とも呼ばれたお救い施設がありました。何時の時代にも社会の歯車から抜け落ちていく者たちがいました。一説には貧人とも呼ばれましたが、この非人の中にも抱え非人と野非人がありました。

非人頭に管理されたのは抱え非人であり、牢番や辻番・刑吏及び乞食や袖引きの仕事を認められていました。大道芸人や門付け芸人は乞胸頭の支配下にあり、非人頭を通して穢多頭の支配を受けていました。

野非人というのは、人別帳の帳外であって所謂、無宿人であります。江戸府内に流れ込んだ浮浪者ホームレス達は非人頭の管理下に入らない限りは乞食や袖引きも認められませんでした。彼らの排除は木戸番・辻番と呼ばれた者たちの重要な仕事の一つでした。

さて職人についてですが、定住しない渡り職人や行商人の類が当初の弾左衛門支配の対象であって、弾左衛門支配の職業28種のうち幕末までその支配を受けたのは5種程度だと言われています。つまりは、その多くは何れかの集団の管理下に入り弾左衛門支配から抜け出して行ったものと思われます。
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皮革産業は、軍需産業でもありましたから戦国時代を通して穢多皮田と呼ばれた者たちは地域地域の領主達の支配化にありました。必要とされた者たちでしたが、斃牛馬の処理が仕事であった為、血穢死穢の観念が付きまといました。地域によっては穢多皮田が存在しない地域もあったので、遠くから招いて居住する場合もありました。

また地域の清めの作業の中には、犯罪者や浮浪者の捕獲や排除の仕事も含んでいたので、村役人などに命じられて目明しや手先として働く場合もありました。所謂、不浄役人というやつですね。

斃牛馬の処理については、その独占が認められていたので富裕な者たちもいたようです。大阪の穢多村には太鼓の生産で莫大な利益を得ていた者がいたという記録もあります。田畑については持って居る生産者もあり、持たない者達も居たようです。年貢に関しても納めている者、納めて居ない者、地域によってその取り扱いに違いがあったようです。


非人については、中世より願人坊主や濫僧それに歩き巫女や熊野比丘尼といった僧職に扮した浮浪者の類が門付け・袖引き中には居直りなどして乞食して廻った者たちの称であったり、犬神人や坂の者と呼ばれ寺社に付属し、キヨメと呼ばれる下働きをした者たちの称でもあった。

何れにしろ共通するのは、土地なり正業なりを持たぬ寄生的な生き方をしていた者たちであった。川原乞食と呼ばれた芸人たちをこの中へ入れたのは無形の芸を支配者がわが無産のものと見たからであろう。

江戸時代に所謂、的屋・香具師の支配を巡って非人頭と争った記録があります。香具師の口上を芸事とみた非人頭は芸人の支配は乞胸頭を通して非人頭なので非人頭の支配で有る旨主張しました。これに対し香具師テキヤの側では、確かに啖呵タンカ売バイなどの口上で物売りするが商品を売っている以上、実業だと言うような反論をしています。その結果の程は知りませんが、考え方が良く解かる事例ではないでしょうか。

番非人などとも呼ばれ牢番や木戸番それに捕吏・目明しなどにも使われたのは、穢多も非人も変わりません。中には犯罪者を非人手下として非人に繰り入れることもあり、非人の側では博奕に手を出して処罰される者も出ています。こうなると当時の警察能力がどうであったのか、全く解からなくなってきます。

最後にもう一つ結果の解かっていない事例をあげて置きます。幕末の伊豆韮山代官所の記録に、今の静岡県の三島あたりで非人と穢多が争ったものがあります。番非人と称して鉄棒を持ち近在を見廻っている非人がいるが、十手御用は本来穢多の領分であるから穢多支配の非人供が見廻るのは筋違いだという訴えが当地の穢多頭より起こされていたとあります。


























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