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桓檀古記/太白逸史/大震國本紀 -抜粋ー
正州依慮國所都爲鮮卑慕容問所敗憂迫欲自裁忽念我魂尙未滅則何往不成乎密囑于子扶羅踰白狼山夜渡海口從者數千遂渡定倭人爲王自以爲應三神符命使群臣獻賀儀或云依慮王爲鮮卑所敗逃入海而不還子弟走保北沃沮明年子依羅立自後慕容問又復侵掠國人依羅率衆數千越海遂定倭人爲王
日本舊有伊國亦曰伊勢與倭同隣伊都國在筑紫亦卽日向國也自是以東屬於倭其南東屬於安羅安羅本忽本人也
北有阿蘇山安羅後入任那與高句麗早已定親末盧國之南曰大隅國有始羅郡本南沃沮人所聚屠南蠻泡彌晥夏比自畑之屬皆貢焉南蠻九黎遺種自山越來者也比自畑弁辰比斯伐人之聚落也晥夏高句麗屬奴也時倭人分據山島各有百有餘國其中狗邪韓國最大本狗邪本國人所治也海商船舶皆會於種島而交易吳魏蠻越之屬皆通焉始渡一海千餘里至對馬國方可四百餘里又渡一海千餘里至一謗國方可三百里本斯爾謗國也子多諸島皆貢焉又渡一海千餘里至末盧國本鼠婁人所聚也東南陸行五百里至伊都國乃盤余彦古邑也
正洲は依慮の国、都とせる所なり。鮮卑・慕容廆の為に敗られ、憂迫して自裁せんとし、忽ち念ず。
「わが魂、尚未だほろびざれば、則ち何ぞ往きて成らざらんか」と密かに子・扶<依>羅にゆだね、白狼山をこえて夜海口を渡らしむ。従う者数千、遂に渡り、倭人を定めて王となる。自ら三神の符命に応ずと為すを以て、群臣をして賀儀を献ぜしむ。
或いは云う、「依慮王、逃れて海に入り還らず。子弟走りて北沃祖を保つ。明年、子・依羅立つ。自後、慕容廆、又復び国人を侵掠す。依羅、衆数千を率い、海を超え、遂に倭人を定めて王と為る」と。
日本旧くは伊国にあり。亦伊勢と曰い、倭と同隣す。伊都国は筑紫に在りて亦即ち日向国なり。これより以東、倭に属す。その南東は、安羅に属す。安羅はもと忽本の人なり。北に阿蘇山有り。安羅、後に任那に入る。高句麗ともはや親を定む。末盧国の南を大隅国と曰う。姶羅郡有り。もと南沃沮人の聚まる所なり。南蛮、屠沈彌、院夏、比自ホの属、皆貢す。南蛮は九黎の遺種にして、山越より来れる者なり。比自ホは弁辰比斯伐人の聚落なり。院夏は高句麗の属奴なり。
時に倭人、分かれて山島に拠り、各々百有余国有り。その中狗邪韓国最大にして、もと狗邪本国人の治むる所なり。海商船舶、皆種島に会して交易す。呉、魏、蛮、越の属皆通ず。始め一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。方四百余里なるべし。又一海を渡り、千余里にして一岐国に至る。方三百里なるべし。もと斯爾岐国なり。子多の諸島、皆貢ず。又一海を渡る。千余里にして末盧国に至る。もと邑婁人の聚まる所なり。東南に陸行すること五百里にして伊都国に至る。乃ち磐余彦の古邑なり。
桓檀古記(漢文)
正州依慮國所都爲鮮卑慕容問所敗憂迫欲自裁忽念我魂尙未滅則何往不成乎密囑于子扶羅踰白狼山夜渡海口從者數千遂渡定倭人爲王自以爲應三神符命使群臣獻賀儀或云依慮王爲鮮卑所敗逃入海而不還子弟走保北沃沮明年子依羅立自後慕容問又復侵掠國人依羅率衆數千越海遂定倭人爲王
日本舊有伊國亦曰伊勢與倭同隣伊都國在筑紫亦卽日向國也自是以東屬於倭其南東屬於安羅安羅本忽本人也
北有阿蘇山安羅後入任那與高句麗早已定親末盧國之南曰大隅國有始羅郡本南沃沮人所聚屠南蠻泡彌晥夏比自畑之屬皆貢焉南蠻九黎遺種自山越來者也比自畑弁辰比斯伐人之聚落也晥夏高句麗屬奴也時倭人分據山島各有百有餘國其中狗邪韓國最大本狗邪本國人所治也海商船舶皆會於種島而交易吳魏蠻越之屬皆通焉始渡一海千餘里至對馬國方可四百餘里又渡一海千餘里至一謗國方可三百里本斯爾謗國也子多諸島皆貢焉又渡一海千餘里至末盧國本鼠婁人所聚也東南陸行五百里至伊都國乃盤余彦古邑也
正洲は依慮の国、都とせる所なり。鮮卑・慕容廆の為に敗られ、憂迫して自裁せんとし、忽ち念ず。
「わが魂、尚未だほろびざれば、則ち何ぞ往きて成らざらんか」と密かに子・扶<依>羅にゆだね、白狼山をこえて夜海口を渡らしむ。従う者数千、遂に渡り、倭人を定めて王となる。自ら三神の符命に応ずと為すを以て、群臣をして賀儀を献ぜしむ。
或いは云う、「依慮王、逃れて海に入り還らず。子弟走りて北沃祖を保つ。明年、子・依羅立つ。自後、慕容廆、又復び国人を侵掠す。依羅、衆数千を率い、海を超え、遂に倭人を定めて王と為る」と。
日本旧くは伊国にあり。亦伊勢と曰い、倭と同隣す。伊都国は筑紫に在りて亦即ち日向国なり。これより以東、倭に属す。その南東は、安羅に属す。安羅はもと忽本の人なり。北に阿蘇山有り。安羅、後に任那に入る。高句麗ともはや親を定む。末盧国の南を大隅国と曰う。姶羅郡有り。もと南沃沮人の聚まる所なり。南蛮、屠沈彌、院夏、比自ホの属、皆貢す。南蛮は九黎の遺種にして、山越より来れる者なり。比自ホは弁辰比斯伐人の聚落なり。院夏は高句麗の属奴なり。
時に倭人、分かれて山島に拠り、各々百有余国有り。その中狗邪韓国最大にして、もと狗邪本国人の治むる所なり。海商船舶、皆種島に会して交易す。呉、魏、蛮、越の属皆通ず。始め一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。方四百余里なるべし。又一海を渡り、千余里にして一岐国に至る。方三百里なるべし。もと斯爾岐国なり。子多の諸島、皆貢ず。又一海を渡る。千余里にして末盧国に至る。もと邑婁人の聚まる所なり。東南に陸行すること五百里にして伊都国に至る。乃ち磐余彦の古邑なり。
桓檀古記(漢文)
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沢庵 熊八
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父は会津、母は信濃出身で、どうみても縄文系の熊八です。北海道生まれで、関東育ち。現在は相模の国に住まいしております。
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